穏やかな抵抗

かつて中国では、法輪功は至る所で見受けられました。全国の公園は、明け方、気功の動作を行う修煉者で埋まっていました。法輪功の著書は定期的にベストセラーとなり、北京の目抜き通りの王府井にある書店に並んでいました。1999年夏、北京の街頭は、違法の法輪功禁止令に抗議する無数の修煉者で埋め尽くされました。人権弁護士が「ジェノサイド」と呼ぶ政府弾圧の発芽でした。

1990年代に中国国民の目に留まっていた法輪功は、21世紀に突入する直前に欧米人の目にも留まるようになりました。1999年、2000年は、天安門広場での法輪功による果敢な抗議と、それに続く悲しい結末が、欧米のメディアで毎日流れるようになりました。当時、ニュースを熱心に追う方なら、法輪功と中国政府による禁止に関して少なくともある程度の知識は得られました。

しかし、その後、リーシャイ・レミッシュ氏の随筆で語られているように、法輪功は一般の意識から消えることはなくても、メディアのレーダーからほとんど姿を消しました。中国の心の象徴とも言える天安門広場に抗議のために集まった何千の人々の姿も消えました。トレードマークである黄色の横断幕、抗議の叫び、包み隠すことのない警察の暴力行為は、過去5年間ほとんど見受けられません。

法輪功はどこに行ったのでしょうか? どうなったのでしょうか? 世界最大の共産主義国家は、「法輪功問題」の解決策、つまり「根絶させる」という提案を撤回したのでしょうか? 多くの方々は抗議活動の欠如から、中共の迫害が暗黙の内に終わったのではないかと理解しがちです。しかし、真実は全く異なります。

法輪功の初期の抗議活動を支えた力や信念は消えたわけではなく、修煉者も減ったわけではありません。まったく逆に、法輪功は成長し、成熟し、変化してきました。精神的な信念から生まれた粘り強さで、法輪功は20年以上の残忍な戦いを乗り越え、今日では中国の変革を促す要因となっています。ほとんどの人が想像もしなかった規模の変革です。現在は、中国本土への電話かけ、チラシの配布、真相の公開、ケーブル回線の接続、地下の印刷所、芸術作品に至るまで、あらゆる分野で人権活動を展開しています。そして、抑圧的な支配に疲れ、変化を要求する法輪功ではない人々の声と合わさり、日々、大きな力となっています。

欧米ではあまり知られていませんが、世界史上とは言えなくても、おそらく中国史上で、最大規模の草の根運動になる可能性があります。非暴力、ハイテク、宗教的信念が融合したこのような運動は中国史上、存在しませんでした。

この時期が終わった後、中国では何世代にも亘って語り継がれていくことでしょう。

棄却の強要と「誠信」の危機

2001年末までには、中国にいる法輪功修煉者は、法輪功「根絶」のために設定された毛沢東路線の政治運動の対象となりました。多くの人にとって、共産主義が統治する暗黒の時代が戻ってきたのです。

ワシントン・ポスト紙によると、2001年、中国政府の幹部は「法輪功に対する組織的な暴行」を正式に認可しました。「洗脳教室のネットワーク」と「隣人、職場を全て洗い出して修煉者を排斥する運動」を組み合わせたもので、法輪功メンバーであれば漏れる者はいないという方針でした。同紙は、35歳の電気技師ジェームズ・欧陽(James Ouyang)さんや彼のような修煉者たちが「殴られ、電気棒でショックを与えられ、肉体的に耐え難い苦痛を受けた」ことを報道しています。法輪功弾圧について政権に助言したある党の幹部は、「共産主義システムの残忍性、資源、説得力のすべてが利用されており、効果は出ている」と述べています。

効果があったようには見えました。同紙の記事によると、欧陽さんは法輪功の教えを非難し、修煉を棄却しました。中共幹部の言葉で「転向者」の部類に入ったのです。統計的には、彼の棄却は法輪功修煉者が1人減ったことを意味します。

しかし、これは欧陽さんが本当に望んだことだったのでしょうか? 自分の自由意志で認識し、棄却したのでしょうか? 実情はまったく違います。

同紙の記事では、10日間の拷問で、欧陽さんがいかに「従順」にならされたのか、心の痛む詳細を記述しています。彼は裸にされ、一度に5時間、尋問され、正しく「はい」と答えないと、電気棒で何度も衝撃を与えられました。壁に向かってじっとするよう命令され、少しでも動くと電気棒の衝撃を与えられました。疲れから倒れ込むとまた電気棒で衝撃を与えられました。顔から10センチの壁を見つめていたため、6日目までには、欧陽さんはまっすぐに物を見ることができなくなっていました。その後、再び衝撃を受け、膝が曲がってしまい、ついに看守の要求通りに従いました。それから三日間、彼は法輪功の教えを非難しました。それでも、看守は彼にショックを与え続け、彼は何度もその場で排便しました。10日目になって初めて、彼の告発は「十分に誠意がある」と当局に認められ、洗脳教室に移され、1日16時間のセッションを20日間受け、法輪功を拒否する発言をビデオに収録され、ようやく「卒業」しました。

欧陽さんのような「転向」の例は、党の役人には模範的な成功と掲げられます。このためにビデオ収録があるのです。強制労働所より外の広い世界、そして中国政府の中央幹部にとって、中共政権は、法輪功に対して「勝利」を収めているかのようでした。

しかし、不安定な性格の「成功」であることが、当時も今も、見落されています。中共政権の強要を前提とした、強制されたひどくもろい物なのです。自分たちが信じないことを発言させ、そのためには、信じがたい残虐行為に出ます。「転向」しても一度外の世界に戻れば、また修煉に戻るかもしれません。このため、常に威嚇し、収容所で体験した残虐さと痛みを思い出させます。転向していない修煉者と交流して修煉に対して前向きな気持ちを甦らせないように、隔離します。教えの書かれた書籍や、国家の管理下にはない、修煉者への迫害情報にも触らせません。このような強制的な手段をとらなければ、「転向」も風化してしまう可能性があるからです。

困窮にある数億人の農村部の市民に基本的な教育や医療手当を与えることもできず、わずか2年前に8万7千件の暴動や大規模な事件が起きている中国にとって、このやり方は実に危険です。このような戦術を永久的に続けるだけの資源やカリスマ性を政府は備えているのでしょうか? ニューヨーク・タイムズの特派員は1999年に次のように疑問を投げかけています。「中国共産党は、ニューヨークに在住する精神性の師に従う、テニスシューズを履いた退職者たちをなぜ恐れるのだろうか?」

また、中国政府の幹部はこの迫害運動の長期的な損得を考慮していないようにも見受けられます。世界最大の政治体制が、徳のある生活を志す瞑想グループを違法とし「根絶」を試みることは何を意味するのでしょうか。中国共産党の公式代弁機関である新華社通信は、迫害開始から1週間で、中共が直面する問題について、「実際、[法輪功の指導者が]説く『真、善、忍』の理念は、私たちが達成しようとする社会主義の倫理的、文化的進歩とは相容れない」と隠し立てのないコメントを出しています。

中国専門のアナリスト、ウィリー・ラム(林和立)氏のような人々は、欧陽さんの劫難があった2001年、「中国は道徳の枠組みを真二つに切り裂くだけでなく、経済・政治改革をも脱線させる『誠信』の危機に直面している」と、まさに中共が刈り取った果実を指摘しています。「誠信」とは正直で信頼できることであるとラム氏は他の執筆で解説しています。

法輪功弾圧から10年近くが経ちますが、中国からの汚染された商品が毎日発覚していることからも分かるように、「誠信の危機」はさらに深みにはまっています。法輪功の苦境と最近の毒入り歯磨き粉を結びつけようとしても、関連付けられないかもしれません。しかし、誠心性の面で最も優れた市民1億人を消し去り、同様に高い道徳心を持とうとするものを分別なく威嚇することは、災難を招いていることと同じです。モラルの枠組みが完全に消えた社会では、次は毒入り咳止めシロップが売り出されるのでしょうか?

修煉に戻る

北京近郊で欧米のジャーナリストと密会し、法輪功の煉功動作の一部を実演した法輪功修煉者。この席で法輪功が直面している人権侵害を詳述した。

欧陽さんのような多くの人が、法輪功を真に恨むことはありません。ほとんどの「転向者」は、拷問と威嚇から疲弊して法輪功を棄却したのです。迫害を通して、嫌悪すべきものは中共政権国家であると悟りました。欧陽さんはワシントン・ポスト紙に「警官と電気棒を見るたびに、むかついて吐きそうになる」と語っています。中国の強制収容所で生み出された党への忠誠は、革命への熱情とは程遠いものでした。

むしろ中国出身者の証言から、抑圧する政府への反発が深くなったことが示唆されます。そして自問するようになります。「強制しても人の心は変えられない」という、法輪功の創始者による文章の題名通りです。闊達な身体、人生の新たな意味、人間関係の改善、周囲に広げやすい前向きで楽観的なものの見方など、人々が法輪功から得たものは数限りません。法輪功を放棄することは、多くの人にとって、かつての不徳な状態に戻ることでした。

まもなく、強制された法輪功の棄却を無効にする公の宣言が現れ始めました。「厳正声明」と題された声明文が法輪功の主要サイトである明慧ネット Minghui.org にまとめて掲載されるようになったのです。毎日のように何百人もの修煉者の宣言が発表されました。山東省の強制労働収容所で虐待された同志順(音訳)(Tong Shixun)さんは2001年9月、「過酷な迫害の中で、私が正気を失った時に言ったこと、書いたことはすべて無効であることを厳粛に宣言します」と書きました。他の人と同様に、彼の宣言には「修煉は諦めません。この機会に邪悪を暴露します。私は真実を明らかにする努力を倍加して、自分の過ちを正していきます」という迫害に抵抗する誓いが添えられていました。

3億5000万人以上の中国人が、中国共産党とその関連組織から脱退する請願書に署名している。

今日、明慧ネットには3億5千万余りの声明文が寄せられています。この数字から大規模な変化を垣間見ることができます。それぞれの声明に関わる要素を考えてみましょう。まず、個人が、公に宣言をする意思が求められます。この行為だけでも、収容所に連れ戻されるかもしれません。第2に、インターネットへのアクセスが必要です。中国でのコンピュータの所有率は26人に1人で、インターネットにアクセスできる人間は限られています。第3に明慧ネットにアクセスし宣言について知るためには、高度なソフトを利用する必要があります。中国は非常に厳格にインターネットを検閲しているからです。最後に、自分の宣言を明慧ネットに送ることも一つの課題です。膨大な数のインターネットのフィルターや監視ソフトが設定されており、法輪功関連のコミュニケーションを阻止しています。声明を明慧サイトに発表できた人は、修煉に戻った人の50人に1人だと思われます。

遠隔の農村から明慧ネットの編集室や法輪大法情報センターに寄せられた文書から、このことは裏付けられます。1999年の法輪功禁止以前に修煉していた地元の人々のほとんどが修煉に戻り、多くの場合、これまで以上に決意を固めていると報告されています。

法輪功を初めて学んだ事例もあります。ウォール・ストリート・ジャーナルによると、山東省の張学玲(Zhang Xueling)さん(32歳)は、刑務所で修煉者と出会い、法輪功を始めました。張さんは、信仰のため中国の警察に殺害された母の陳子秀(Chen Zixiu)さん(58歳)の死因を探っていたために投獄されていました。刑務所には多くの法輪功の囚人がいました。刑務所の中で彼女に親切にしてくれた唯一の人たちでした。この経験に感銘し、釈放された後、自ら法輪功を修煉し始めました。

「かつての私は物質至上主義で、すべては働くことで得られると信じていました。しかし、法輪大法はもっと理にかなっています。その根底には真・善・忍の三つの理念があります。この理念を実践することで、人生により深い意味がもたらされるのではないでしょうか?」と張さんは同紙のインタビューで語っています。

中国の情報筋は、「転向」させようとする党に逆らい、多くの修煉者が信念を貫いたと指摘しています。弾圧に全く動じなかった人もいます。多くは嵐に耐え抜きました。また、瀋陽市の会計士、高蓉蓉(Gao Rongrong)さん(37歳)のように犠牲になった人もいます。信念の棄却を拒否したため、おぞましい形で拷問され死に至りました。明確に判明しているだけでも3000人以上の法輪功修煉者が迫害で殺害されてきました。

信念

天安門広場で公然と私服警官を直視する女性。

法輪功の規模が大きくなり、強くなっていることは、外部からは顕著ではありませんが、法輪功の信念の強さには揺るぎないものがあります。20世紀の偉大な非暴力運動を指標とするならば、法輪功の動きは見落とされてしまいます。ガンジーはかつてこう言いました。「抑えがたいような強い信仰を精神の原動力とする堅い決意を抱いた一握りの人々は、歴史の流れを変えることができる」。現在は、一握りではなく、鍛えられ、強くなり、成長を続ける数百万人が存在するのです。

信念に層があるとすれば、最初の層は直接的なものです。1999年7月、法輪功が違法とされた運命的な日から、修煉者は自分たちの置かれた窮状は、(当然のことながら)全く非道であると見なしました。法輪功を禁じ、暴力と殺害へとエスカレートしてきた中国政府は、自国の憲法に複数の点から違反し、自らが署名した国際条約にも反するものです。信仰の自由は、少なくとも紙面上は、中国では保証されています。同年10月に、法輪功への抑圧は法制化され施行され、この法が遡って適用されることになります。中国の公園で、静かに穏やかに集まる法輪功は、いかなる法も破るものではありません。天津の警官に数人の修煉者が暴行されたことに対する中央政府への陳情として、1999年4月、政府の最高機関のある中南海の近くで大規模に集まった時も、全く違法になるような行動はしていません(実際は、北京の陳情局に行くように指示したのは、天津当局でした)。

信念の層は、精神性に基づくより深いものです。多くの修煉者は、自分がやったことではなく、自分が信じるもの ― 自分とは何か ― に対する迫害であることにすぐに気がつきました。全く違うレベルでの迫害でした。単なる権利の喪失でなく、自己・魂の喪失でした。

この面での迫害について、中国出身の修煉者、趙明さんは「私の個人的な経験から、法輪功の迫害は完全に私たちの信仰を標的にしている」と述べています。趙さんは北京の労働収容所に2年間拘束され、拷問を受けました。「私たちは何も違法なことをしていません…人々を良心的な判断のつかない操り人形に『転向』させるために、拷問は使われました。これらの操り人形は、他人を傷つけるための道具として使えるのです」。道徳的に優れた健康な人になることが法輪功の基本だとすると、中国政権は一体何に「転向」させたいのでしょうか?

修煉者は容易には洗脳されません。多くの修煉者にとって、法輪功はインスピレーションと善の源泉でした。ある人にとっては、新たな健康と活力の源でした。また、ある人にとっては、深く共鳴する哲学、人生の指針をガイドしてくれる新しいレンズで、力と高揚を一度にもたらしてくれるものでした。また、佛教のように、苦しみを精神性の価値観から捉えます。このため迫害に対して次の二つの要素が見受けられます。第一に、一夜にして棄却できるものではない。第二に、信念のために苦をなめることを厭わない。迫害は、政治的に認められている権利を否定するだけのものでなく、人権侵害、ひいては宇宙の法の侵害なのです。自己修煉の道は、「我」を可能な限り捨て、他者をまず重んじることです。必要であれば、自己の安寧を犠牲にします。つまり、中共は自分よりもはるかに大きいものに手をつけてしまいました。

このような状況の中で、法輪功修煉者の信念には、もう一つの層があります。それは外に向けられたものです。修煉によって育まれた、外の世界に対する思いやりから生まれたものです。上述のように、自己修煉の道は、「我」を可能な限り捨て、必要であれば、自己の安寧を犠牲にしても他者をまず重んじます。この意味で、法輪功の修煉者は、迫害に遭っている修煉者だけを懸念するのではなく、一般の人々に対しても懸念しています。他の人々も同様に、この迫害の犠牲者だと法輪功の修煉者は感じています。法輪功を弾圧するという中国共産党の「闘争」に惑わされ、法輪功を憎むように植え付けられてしまったのです。

このような人々は、中共のプロパガンダにより「毒された」と法輪功の修煉者は見なします。魂に害が及ぼされ、魂が汚染されていることを意味します。自分を大切にするのと同様に隣人も大切にするという道徳観から、これらの人々を助けるために手を伸ばさない修煉者はほとんどいません。病にかかった子供を助けることに喩えた修煉者がいます。感染し、広がりやすく、リスクを伴っているのに、本人には意識がありません。このような犠牲者について涙を流しながら語っている修煉者に、私は数多く出逢いました。歴史からもこの見方は裏付けされます。かつてドイツの若者が、反ユダヤ教育を毎日刷り込まれ、ユダヤ人を憎むように育ち、虐殺さえ憚らずに行いました。

中国の法輪功修煉者の多くは、キング牧師の言葉を聞いたことがあるとは思いませんが、「非暴力の中核には、愛の理念がある」という彼の言葉を、修煉者は毎日実証しているかのようです。

横断幕を掲げ さらにネットを突破

天安門広場で横断幕を掲げる法輪功修煉者に近づく中国の警官(右)

この信念のもとで、驚くべき勇気ある行動が、誰にも知られることなく起こりました。高齢者、若者、お金のない人々など、思いもよらないところから中国を変革させる力がかかりました。欧米社会では、歴史が作られていることを感じる人々はあまりいないかもしれませんが、人間として呼吸のできる場所を求める小さな声が、目を見張る数の参加者と手段を駆使しての、大規模な人権への取り組みに発展したのです。

当初、法輪功の修煉者は、迫害を大きな誤解だろうと甘く考えていました。「中国共産党の幹部が誤って理解している」「法輪功が本当は何かを理解していない。それ以外には説明がつかない」「政治的野望は全くなく、良い市民、良い隣人になろうと努力している人々がなぜ迫害を受けるのか」

このため、皆が北京や各省の首都に行き、当局に陳情しました。中華文明の黎明期から、市民が支配者に不満を訴え、是正を求める陳情制度は設けられていました。最近では1年に1000万件の請願書が提出され、北京の大通りには常時1万人の請願者で殺到している可能性がある、とヒューマン・ライツ・ウォッチは報告しています。

1999年7月22日、法輪功の禁止が発表されたとき、最初に訴える手段が陳情でした。実際、その数ヶ月前の4月25日、数千人の法輪功修煉者が中央政府のある中南海に集い、請願した際は、平和的に解決したかのようでした。当時の朱鎔基総統が個人的に法輪功の代表者と会い、法輪功を弾圧することはないと確約したのです。

しかし、法輪功の懸念に当局が無関心だったことに、修煉者たちは想像もしませんでした。陳情の権利は国が定めているにも拘らず、陳情を試みた数千人もの修煉者が逮捕されました。全国の陳情局は、中に入ってきた修煉者は誰でも逮捕するよう指示されました。弾圧の発起人である江沢民は、非難の対象となっている法輪功修煉者からの大量の手紙を燃やしたと言われています。

まもなく、暴力の頻度と程度が増すようになりました。目撃者は殴打を公表し、死者も明るみに出ました。メディアは、中共が設定した法輪功撲滅以外の内容を報道することはありませんでした。弾圧運動が始まった最初の1ヶ月だけで、中共の代弁者とも言える「人民日報」が掲載した法輪功を糾弾する記事は、347本に及びました。国営テレビを通じて、24時間体制で全国の家庭に中共のプロパガンダが絶えず報道され、法輪功は社会を脅かすものという烙印が押されました。弾圧開始からわずか7日で、200万冊以上の「違法」な法輪功の書籍を押収したことを当局は自慢していました。治安局が公に書籍の焼却を行った都市もあります。

己を肥やすことだけに関心のある権威者グループだけでなく、国民全ての価値観が混乱してしまいました。このため、修煉者は公の陳情を余儀なくされ、天安門広場のような象徴的な空間が「主張」の場となりました。農民、ビジネスマン、看護師、科学者、そして幼い子供たちまで、黄色い横断幕を広げるようになりました。「法輪功は正しい」「法輪功の名声を回復」などと書かれたメッセージを一般の人に伝えることが目的でした。

党当局は、予想通り、これらの行為にこれ以上従順ではないことを証明しました。通常、デモ参加者は中国の警察から拳と足で応戦し、尋問を受けた後、刑務所に入れられたり、労働収容所に3年入れられたりします。犠牲者は重く、痛感させられました。中共当局が、これらの行動を快く受け入れるはずはありません。横断幕を広げた者は、中国の警官に殴打され踏みつけられ、尋問のあと3年間の強制労働所に拘束されます。かなりの犠牲者が出ていることは明白です。

2002年は、衛兵交代の時期とも言えましょう。揺るぎない信念を抱くグループにより、洗練された現実的な取り組みが始まりました。その年、欧米の修煉者50人余りのグループが天安門に行き、「真善忍」と書かれた黄色い旗を掲げました。その頃までには、様々な理由から中国の修煉者で天安門に行く人はほとんどいませんでしたが、その後も天安門に行く修煉者はさらに減りました。新しい時代では、都市、通り、路地、家へと取り組みが広がったのです。

同年3月までに、中国東北部の長春市(法輪功の発祥の地)の修煉者は、主流のケーブル回線を利用して、通常のテレビ番組の枠に、法輪功に関するビデオを流しました。このビデオは8つの異なるチャンネルで放映され、その時間は45分にも及びました。何千人もの住民が、迫害開始から3年が経過していた時期に初めて、政府の検閲なく制作された法輪功とその苦境に関する映像を見ることができたのです。法輪功についてオンラインで読もうとしただけで、投獄される可能性があるからです。長春市の地方政府だけでなく中央政府も動揺したため、長春には戒厳令が敷かれ、犯人探しが始まりました。さらに電波ジャックを試みる者がいたら、「その場で射殺すべき」という命令が下りました。関与した修煉者は最終的に捕まり、拷問・殺害されました。

四川省や遼寧省などの他の省からも、同様の技が報告され、中共も同様の反応を示しました。修煉者も中共も両者の取り組みは激化していきました。

この頃、関係者の間では「資料提供場」と呼ばれる地下の印刷所が全国各地で現われ始めました。中共政権下で情報が完全に封鎖されている中での、草の根メディアと言えましょう。資料提供場は、しばしば法輪功修煉者の家の片隅に隠されていて、地味で簡素なものでした。最も基本的な場所では、プリンターが一台あるだけでした。コピー機やコンピューターを備える場所もありました。手狭な家の片隅で、チラシやパンフレット、VCDなど手製のメディアの数々が、揺るぎない決意を抱く修煉者の手で用意されてきたのです。

そして、通常、夜が更けてから、修煉者チーム(時には個人で)が担当の地域に資料を配布します。夜が明ける頃には、チラシは自転車のカゴの中に入っていたり、街頭の壁面に貼られたりしています。VCDは玄関のドアの下に忍び込まれ、パンフレットは自動車のワイパーの下や郵便受けに挟みこまれています。2002年3月までには、何千枚ものVCDが主要都市で見受けられたとワシントン・ポスト紙は報道しています。一方、中国から逃れてきた王玉芝(Wang Yuzhi)さんは、回顧録『生と死の境を越えて』(原題:穿越生死) の中で、2001年半ばには、3日間で数十万枚のチラシを印刷し、黒龍江省の他の修煉者が配布したと述べています。費用に関しては全て修煉者が自腹を切っていました。

時が経つにつれ、資料サイトも配布方法もしっかりと確立されるようになりました。現在、いくつかの都市では、修煉者ではない市民が、定期的に資料の印刷・配布を行っていると報告されています。

中国では今でも法輪功を肯定する横断幕は掲げられますが、当初の2年間のように場所を絞り込むような形ではありません。当時は天安門広場に集中していましたが、近年では様々な場所や空間で幅広く数多く掲げられています。朝起きると、橋やアパートのバルコニー、樹木、電柱、交番の壁にまで横断幕が掛かっていることがあります。

最近は横断幕でスローガンを掲げるだけではなく、問題が明るみに出た時、迫害の責任者や機関を告発するポスターが地元に貼られます。特定の警官や役人の手で人権侵害(しばしば拷問)が行われたことが判明した後で、法輪功修煉者はその地域に働きかけることがよくあります。これは、「現地で暴露する」と呼ばれるもので、その効果はすぐに見られます。虐待に関わった看守がある朝、目覚めると、自分の住む建物の壁にチラシが貼られているのを目にするかもしれません。そこには、地元の拘置所での彼の邪悪な行為が詳細に記されているのです。彼の隣人、親戚、同僚、その他多くの人々がチラシを受け取る可能性が高いのです。「面子を重んじる」中国で、即座に「恥をかかせる」ことができるわけです。

このような暴露は、オンライン上で公開され世界の注目を引くことでさらに重要性を増します。国外に情報を流すことは容易ではありませんが、大量の情報が発信されています。かなりの情報は、fawanghuihui.org(法網恢恢:広大な法のネットの意)のサイトに挙げられています。一度に5万1千人の「悪人」のプロフィールが掲載されることもあります。典型的なリストには、局名、部署名、性別、役職、電話番号の詳細が記載されています。

電話番号は非常に重要です。修煉者が中国に電話をかけることは、もう一つの草の根の取り組みです。法輪功の請願所は封鎖されており、法廷を通じた救済手段もありません。法輪功修煉者は自らが法制度にならざるを得ません。もし、法網恢恢サイトや明慧サイトを仮想法廷とするならば、加害者への電話は刑期の宣告でしょうか。修煉者は、中国全域そして世界各国から、直接的な加害者に対して大量の数の電話をかけています。

電話かけの目的は?「恥をかかせる」ことではありません。「全ての人間は、どれほどひどい行いをしても、僅かながらの佛性が残されているはずだ。この佛性を慈しむべきだ」 ― という法輪功修煉者に共通する信念に基づき、相手を思って電話をかけます。加害者は他者を傷つけることで、最終的には自分を傷つけています。多くの電話をかける修煉者は、会話の中で、佛性を目覚めさせ、自己の良心に気付かせようとしていると語ります。電話口で公に「あなたたちを傷つけることは2度としません。私が悪かった」と公言した当局の人間もいました。人生は様々な形で勝ち得る可能性があります。

中国では物理的にも社会的にも、法輪功を共有できる公の空間は存在しません。ですからこのような情報は、ネット上で共有されます。明慧ネットのウェブサイトほど重要な存在はありません。今年で8年目を迎えたこのサイトは、中国国内だけでなく世界中のコミュニティの架け橋となっています。それだけではなく、中国で印刷・配布するための様々な資料を提供しており、様々なラベルを添えたCDに焼き付けるためのビデオも含まれています。さらには、非暴力の抗議をするための基本的な事項も掲載されています。悪人が取り外せないようにバナーを樹木や電柱の高い場所に掛ける際のバナーの組み立て方の図式が掲載されているページがあるのです。

また、明慧ネットが日々発表する記事は、情報とインスピレーションの宝庫です。「迫害報道」では拷問を記録し、助けを要する被害者を認定します。「特集」では世界の活動を把握でき希望がもたらされます。「修練交流」では修煉を通しての個人の成長と弾圧に直面して動じない体験が寄せられています。「厳粛な宣言」では拷問と洗脳で転向させられた修煉者に新たな出発をもたらします。このサイトは、1日に数百人からの連絡が入るときもあります。

もちろん、これは簡単なことではありません。明慧ネットとこれに似通ったサイトは全て中共政権によって禁止されており、中国国内では(ネット閲覧の制限を解除するファイアウォールを超えたとしても)サイトを訪れるだけで、刑務所に送り込まれる可能性があります。

ここでも、国際的に協調された取り組みが欠かせません。欧米社会の法輪功修煉者は、迫害当初から、中共政権の検閲を突破するインターネット技術の開発・配備に献身し、目を見張る成功を収めました。2005年に法輪功修煉者が開発したソフトによって閲覧できるようになったサイトには、中国のユーザーから1日平均3000万回以上のアクセスがありました。Googleなどの検索エンジンの検閲のかからないバージョンを用いて「ボイス・オブ・アメリカ」や「ラジオ・フリー・アジア」などが読めるようになったのです。ネット突破に取り組んできた他の活動グループで、これほどの成功を収めたものはありません。これもほとんどすべて自己資金で行われ、自発的に行われたものです。

ガンジーが知っていたように、「堅い決意を抱いた一握りの人々」が、「抑えがたいような強い信仰を精神」に駆り立てられれば、歴史の流れは変わるのです。

ネット上の支援は、国外からの助けの一部に過ぎません。欧米社会の法輪功修煉者は、中国本土の修煉者同様、犠牲を払ってきました。例えば、中国大陸の修煉者が虐待する看守と話すために刑務所や強制労働所に電話をかけていますが、中国国外の修煉者も同様に電話をかけています。2005年までには3,000万~4,000万件の電話がかけられたと推定されています。電話回線はファックスにも利用されており、国外の修煉者から月平均30万通のファックスが中国に送られています。また、より多くの人々が、情報を伝えるVCDや、各種の出版物を中国に郵送しています。

国外からの他の取り組みとしては、ネットのチャットルームを利用したり、ラジオや衛星テレビの番組を中国に向けて放送することなどが挙げられます。これらはすべて、金銭的な報酬もなく、自発的に時間の空いている時に行われています。信念の力とも言えましょう。

中国共産党からの脱党

中国大陸の法輪功修煉者は、10年近くにわたり、精神的な信念のために虐待・屈辱・窮乏に直面してきました。そして迫害のメカニズムを鮮明に把握し始めました。時の経過とともに、より鋭利に事情が掴めるようになると思いますが、中共政権の不透明さのため楽観的にはなれません。

当初、主要な黒幕として江沢民、羅幹、李嵐清などが挙げられます。朱鎔基などの多くの高官はこの不器用な措置に明らかに反対していましたが、時を経て、反対派の影は薄らいでいきました。強硬な戦略と粛清の繰り返しを通して、異見論者は徐々に党の主要な地位から引き下ろされました。異論を唱えることは、自分のキャリアを危険にさらすことでした。弾圧に最も熱心な者は、素早く昇進しました。制度のあらゆる階層で従順であれば報酬が得られるという状況でした。

中共の制度そのものが問題であることが明らかになりました。ニューヨークに拠点を置く法輪功のスポークスパーソンである張而平(Erping Zhang)氏は、「修復できないほど腐っていた」と語ります。「メディアから教育制度、労働収容所に至るまで、すべてが中共によってコントロールされ、中共に仕えるように設定されています。裁判所で一部を変更しようとしても無意味です。制度全体が信じがたいほど問題なのです」

北京の団河労働収容所で拷問を受けた趙明(Zhao Ming)氏は、張氏に同調する。「彼らは中華人民共和国の歴史上、ずっとこうしてきました。文化大革命の間、彼らは儒教、仏教、道教を含むすべての中国の伝統的な信仰を破壊し、一掃しました。これを理解できる欧米人はいないでしょう。中共の行為を正常な心で理解することはできません」

張而平氏、趙明氏が再考するように、多くの人にとって、修煉者に押しつけられた極度な残虐と憎しみは中共が煽ったものでした。これは法輪功に限られた問題でしょうか? それとも中共は以前にも他の形でこのようなことをしたのでしょうか?

その答えは、『共産党についての九つの論評』または『九評』と題する九つの章から構成された共産党を批判する書籍に綴られています。このシリーズは、中国語のメディア『大紀元』(The Epoch Times)グループの発行したものです。2004年11月の出版からわずか一ヶ月で、中国政権幹部の間、そして中国大陸全域に、衝撃を与えました。その頃までには、元中国宣伝部文芸局局長の孟偉哉(Meng Weizai)氏とオリンピックメダリストの黄暁敏(Huang Xiaoming)氏が、中国共産党から脱党する宣言を出していました。すぐに脱党の波が到来し始めました。国営メディア新華社通信が、不注意にも公式否定したことで、この脱党の動きが逆に実証されることとなりました。中共は「党の規律」を強化し「最先端を進む党の特徴を維持する」ために、勉強会や政治運動を義務付けました。党の幹部は神経質になっていたのではないでしょうか? このおかげで逆に『九評』に対する関心が高まることとなりました。

わずかの期間で、当初の1日100~200人の脱党者数が数千人に膨れ上がり、この文書を記している日だけで33,613人、2007年6月全体では958,587人が脱党しました。(脱党には、中国共産党だけでなく、中国共産主義青年団と少年先鋒隊からの脱退も含まれます。中国では多くが若くして「血の誓い」を立て、これらの団体に所属します)

なぜこれほどまでの数の人々が、これほどまでに反応したのでしょうか? The Epoch Timesの編集者スティーブン・グレゴリー氏は次のように述べています。「55年の恐怖と虚言を経て、中国の人々は本当の歴史を知ることとなったのです。初めて、中国共産党の下でのとてつもない喪失を互いに共有することができました。初めて、共産党の悪夢から一歩下がって、中共が必死になって破壊してきた美しい古代文明とその意義を考えられるようになったのです」

グレゴリー氏は重要な2点を指摘しています。第一に、多くの人々にとって『九評』と中共から脱党する機会は、精神の浄化作業にあたります。魂を浄化し、自分自身そして過去と和解し、癒される過程です。第二に、60年近くにわたり囚われの身となっていた中国の歴史と文化を取り戻すことです。『九評』では共産主義は19世紀のヨーロッパの思想の産物であり、中国の継承文化には属さないことが明示されています。

この視点から『九評』は逆に、中共の行為を政治とは切り離して解説していると言えましょう。孔子に「非革命分子」のレッテルを貼り、仏像を「封建的な迷信」として子供に壊させるなど、最も下劣な方法で中国人に刷り込まれ政治に使われた、共産主義の悪夢から中国人を解き放そうとするものです。『九評』は自己の再生と回復への個人的な誘いであり、法輪功を修めることは全く非政治的な行為です。中共の政治から解放され、独断的な虐待・おぞましい残虐さから解放されるのです。魂のレベルでの変革であり、暴力に訴えることのない究極の抵抗です。

人々にもたらす影響

バナーを掲げることからだけではどれほどの影響が及ぼされたかはわかりませんが、公の声明は対照的にその影響力を示してくれます。中国全土からの声の高まりは、法輪功の取り組みの成果を示唆するものです。

早くも2000年から、中国の著名人たちは法輪功の非暴力的な取り組みを例として挙げ始めていました。同年9月、ロイター通信は、中国の詩人・黄貝岭(Huang Beiling)氏が「法輪功の瞑想者に倣い、市民が服従しないことを広げることで政府の弾圧と戦うよう、中国の知識人に呼びかけた」と報道しています。「彼らは平和的に行ってきた。殴られても反撃しない。知識人社会も同じことをすべきだ」と黄氏の言葉が引用されています。

過去50年間で最も重要なジャーナリストとして、よく「中国の良心」と呼ばれる劉賓雁(Liu Binyan)氏は、法輪功の「前例のない勇気」を評し、「法輪功の人々は、逮捕され死刑に直面する可能性を十分に把握していながら、自分たちの権利を主張している」と説明しました。中華人民共和国の50年史の中でみられなかった一貫した姿勢です。

中国大陸の法輪功修煉者の取り組みと姿勢は、人々の間で、初期の頃には見られなかった称賛を生んでいます。一例として、毎年、法輪功の創始者・李洪志氏に新年の挨拶が数百通も寄せられますが、今年は、修煉者だけでなく、法輪功の行動に感銘した支援者や傍観者からもメッセージが送られていました。中国を代表する知識人で作家の胡平(HuPing)氏は、法輪功修煉者による長春でのケーブル接続によるいわゆる電波ジャックを「目を見張る偉業」と評価し、これを率いた劉成軍(Liu Chengjun)氏を「法輪功の英雄」であり「言論の自由のために戦った殉教者」と描写しています。

『九評』の影響は特に顕著です。最近では、最も卓越した弁護士に挙げられるキリスト教徒の高智晟(GaoZhiseng)氏が次のように呼びかけています。「非暴力でいかに変革をもたらすかに関しては、法輪功は血を一滴も流さないで、変革する方法を見出しています。この姿勢が、脱党を促しています。中国共産党は、世界で考えられる全ての邪悪な行為を行ってきました。中国共産党から脱党し、神に近づくことを提案します」。高智晟氏は、脱党した時に「私の人生のなかで最も誇るべき日」と言及しています。

近年、中国からの亡命者が続出していますが、法輪功に関わり心を入れ替えた話が伴います。例えば、シドニーの中国総領事館の政治担当領事を務めていた陳用林氏は、仕事の大半をシドニーの法輪功修煉者を(違法に)監視することに嫌気がさしました。カナダに亡命した韓広生(Han Guangsheng)さんは、瀋陽市の司法局の主任で、法輪功が拷問される収容所を監督していました。オーストラリアに亡命したもう一人の郝鳳軍(Han Guangsheng)さんは、法輪功を根絶するために設けられた中国の悪名高き「610弁公室」の警官でした。

信念と後悔が入り混じった中で、一般に自分を公表することのリスクを十分に把握しています。

3人とも脱党に踏み切ったきっかけは『九評』を読んだことにあると語っています。

中共当局は『九評』の影響を過小評価しようとしていますが、この動きは自信から来るものではなく、恐れからきています。OpenNet Initiative(トロント大学、ハーバード大学、ケンブリッジ大学の研究機関の共同プロジェクト)による2005年の研究によると、『九評』に言及する中国語のウェブサイトの90%が中国でブロックされていることが判明しました。

最も劇的な展開は、法輪功を不当に扱うよう強要された一般の中国人に影響を与えたことです。中国の国民、つまり法輪功修煉者ではない一般の国民が、前述の「厳粛な宣言」を自ら書いて、明慧ネットに掲載しています。法輪功に反対するように威嚇・強要・脅迫された様子を記述した宣言が次々と寄せられています。

馮(音訳)(Feng)という名の男性は、法輪功を悪魔化した国営メディアのプロパガンダ番組を見て、恐ろしくなり、家にあった法輪功の本を燃やすことにしました。その直後、彼は重病にかかりました。たまたま友人と会い、明慧ネットからの印刷物をもらいました。法輪功修煉者が検閲を突破するソフトを使ってサイトにアクセスして印刷したものでした。そして国営のテレビ・新聞から、法輪功を憎むようにすり込まれたことに気づきました。公開声明の中で馮さんは、「法輪功は迫害されるべきではない」と記し、自分を良い方向に変えていく誓いを立てました。法輪功で修煉者を導く「真・善・忍」の言葉を自ら唱え始め、そのわずか数日後、病気は完全に治りました。彼は赦しを求めて公開声明を結んでいます。

今日までに馮氏のようなオンラインで公開された公開声明は5万5000件を超えており、毎週、数百件以上が提出されています。

自分たちのやり方を改めていない者も、この勢いに手を出すことはなく、黙認しています。歴史は彼らの味方ではないことを知っているようです。例えば、陳用林(Chen Yonglin)氏によると、多くの党幹部が家族を必死に海外に送り込もうとしています。大量虐殺を操った主要人物、江沢民(Jiang Zemin)と曾慶紅(Zeng Qinghong)は、オーストラリアへの入国許可を得ようとしていると陳氏は言います。「近い将来、党は崩壊するでしょう」と陳氏は自信を持って語ります。

また、2005年に中国国内のいくつかの情報源から、ありそうもない命令を国家の治安機関に下したという話が伝わりました。一体何の命令でしょう? 法輪功弾圧運動に関する書類を破棄し始めよという命令です。予想される法輪功に関する政策の転換に先立って「隠蔽工作」する動きと呼ばれています。

もっと大きな政権の転換があるかもしれません。中国の情報筋によると、2006年3月25日、黒竜江省の中共本部は、中央と省庁が発行したすべての機密文書の破棄を命じ、回覧させました。今回の転換は、法輪功だけではなく、中国の共産主義の動きに幅広く及ぶ問題でした。

すでに歴史の流れは変わったのでしょうか。

胡平氏は、またしても先見の明があるようです。2004年、胡平氏は「法輪功を倒すことはできない」と強調しました。「世界で最も強力で独裁的な政治体制に挙げられる中国共産党政権が、5年間、全国民を動員して法輪功を破壊するための一つのメカニズムを作り上げたが、成功しなかった。法輪功はこの前例のない恐ろしい試練の中で、その高潔さを維持してきた」

「弾圧が完全に失敗に終わることは、あまり事情に詳しくない者でも疑う余地はない。法輪功の力を過小評価できない。未来は明るい」

中国にとって何の前兆なのでしょうか? 変革とは恐るべきことでしょうか? 胡氏は「法輪功は中国の道徳的な価値観の復活に大きな役割を果たすだろう」と心強く評価しています。

中国製の歯磨き粉を使用したり、中国製の餌をペットに与えたりする人々にとって、これだけでも有難いことです。


レヴィ・ブラウデは、法輪大法情報センターの常任理事。妻と2人の子供と共にニューヨーク在住。