法輪功の興隆

文化大革命(1966-1976年)を生き抜き、大きなトラウマを抱えた中国の人々は、「後進だ」「反革命分子だ」と糾弾されることなく、古代の伝統な精神性と自己をつなげる方法を模索していました。中国共産党は、「階級闘争」と「無神論」を新しい中国文化として確立するために、中国古代の精神思想を抹消しようとしましたが、人々の心に受け継がれた精神思想を取り除くことはできませんでした。

法輪功のつましい始まり

1990年代初頭、中国では気功が大ブームとなりました。多くの気功師が生徒の獲得で競い合う中で、中国全土の人々が注目した一人の気功師が現れました。

法輪功創始者・李洪志氏

李洪志氏は中国東北部の長春市で生まれ、青年期に仏教と道教の師の下で学びました。少数の弟子たちと、法輪功の一般社会への適性を2年間試行し、1992年、法輪功(法輪大法)と呼ばれる古代の伝統的な修煉法を一般の人々に紹介しました。

彼の講演は他の気功師のものと異なり、道徳的基準と自己改善に確固とした焦点を当てていました。

1992年5月13日、李洪志氏は中国東北部の長春市にある質素な校舎で、約180人の聴衆に法輪功についての最初の講義を行いました。

5ヶ月後、法輪功は中国国営の気功科学研究会の正式な支部として認められました。李氏は正式に「気功師」となり、法輪功を全国で教える許可を得ました。

“奇跡の法輪功!”

1992年12月李氏は数人の弟子と共に1992年に北京で開催された東方健康博覧会に参加。気功治療で多くの人々の病気を治し、博覧会の参加者に「法輪功は奇跡を起こす」と評されました。

李氏はこのイベントで誰よりも多くの賞を受賞。気功界での法輪功の存在が確立し、人々の法輪功への関心が急上昇します。

1992-1994年 ー 需要に応え、ほとんど休むことなく、李氏は中国全土で講演しました。2年間で54回の法輪功のセミナーが開催され、講演と講演の間はわずか数日という過密スケジュールでした。多くの場合、地元の国営気功団体の主催で、典型的なセミナーの長さは8~10日間でした。

入場料は、交通費と会場費を賄うためのわずかなものでした。講演は宣伝されたことはありませんでしたが、法輪功の健康改善の評判は口コミで広がり、最終的には一度に数千人が参加するほどになりました。

武漢での法輪功セミナーの様子(1993年)

法輪功が他の気功流派と異なる点

法輪功は「真・善・忍」の理念を説きます。超常的な力ではなく、人格形成と徳を重んじます。健康、精神性の向上という真の道に導くものです。

多くの人がその治癒効果のために法輪功に惹かれました。しかし、修煉者に求められるものが簡素で分かりやすかったことも、法輪功人気の実質的な理由でした。「真・善・忍」を日々の生活で実践し、自分の否定的な執着を取り除き、自分と他人に責任を持つということです。他の気功でよく見受けられるような師を狂信するようなことはやめさせ、自分がより良い人間になることに気持ちを注ぐように修煉者を促しました。

中国の人々は、法輪功が説くものには、仏教と道教の両方に見られる核心があることを認識していました。しかし、法輪功には、これらの宗教とは異なり、戒律や厳しい生活上の制約、俗世を離れる必要性などは一切ありません。法輪功は、修煉の本質を説くもので、古代の経典に見られる難解な言葉は用いません。

中国法輪功 – 中国法輪功(1993年初版)を通して、より多くの人々が法輪功を学べるようになった。

本書で取り上げている内容:「病気の根源とその真の除去」「心身を完璧に向かわせる真の目的(修煉)」「業と徳、その起源、転化と効果」「宇宙の根本的な特性」など。

中国の人々は、有意義な生活を送るために真に有益な法輪功の理念をすぐに認識し、ほとんど文字の読めない農民から大学教授、主婦、中国共産党の幹部など、あらゆる出身・階層の人々が法輪功に惹きつけられました。

法輪功を修めるかどうかは別として、法輪功に出会った中国の人々は、共通して「中国の本物の継承文化が甦った」と感じました。退職した元高官の葉浩(Ye Hao)氏は、「人々の心に染み入りました。法輪功の中に、古代の本当に良いものが戻ってきたことを見出したのです」と語っています。

法輪功を絶賛した中国公安部

1993年8月30日ー中国共産党中央委員会宣伝部と公安部は、「正義・勇気の英雄を表彰する全国大会」を開催しました。

感謝状 – 1993年8月31日、公安部に所属する「正義・勇気のための中国基金」によるもので、基金の受賞者の健康が、李洪志氏の気功治療により改善されたことに感謝する内容。

主催者が気功治療を目的として、李洪志氏を招いて講演会を開き、参加者の痛みを和らげてもらいました。百人の参加者の中の多くは、犯罪を取り押さえるために負傷し、障害を負い、通常の治療を受けた後も、様々な症状に悩まされていました。刺傷、銃傷などから長期的な合併症に悩む者も多くいました。李氏の気功治療のあと、痛み、頭痛、疲労感、めまいなどの症状が消えました。

「治療を受けて腫瘍が消えた者、治療から24時間以内に胆石が排出された者、胃・心臓・関節の疾患症状がその場で消えたと実感した者がいました。もともと軽症で効果を感じなかったという1人を除き、100人近くの全ての参加者が、程度は様々ながら、多大な治療効果を体験しました。このような治療セッションによるパワフルな効果が、高く評価されました」と主催者側は感謝状で述べています。

1993年12月−李氏は、北京の公安部大学講堂で法輪功の講義を行うように招かれた。

東方健康博覧会で、李氏は「フロンティア科学進歩賞」と「最も推奨された気功師」の称号を授かり、法輪功は「最高の気功賞」を受賞

1993年12月法輪功が一般に紹介されてからわずか1年半で、李氏は、1993年東方健康博覧会組織委員会のメンバーの一人として特別に招待されました。

李氏は、法輪功の目的は病気治療ではないと説明しましたが、国家が主催する気功イベントを支援するために、自分の弟子とともに参加しました。事実上、この1993年の万博は法輪功の盛大なイベントとなりました。他の気功ブースに参加する人は少なく、法輪功のブースは混雑していて、治療とサインを求める人たちの長い列ができるほどでした。

最高の賞 – 李氏は博覧会で最も多く、最高の賞を受賞。”フロンティア科学進歩賞」、「特別金賞」、そして「最も推奨された気功師」の称号。

法輪功の強力な治癒効果を否定することはできず、博覧会の委員会と気功専門家委員会は、同博覧会の最高賞である「フロンティア科学進歩賞」を李洪志氏に授与することに合意しました。「特別金賞」と「最も推奨された気功師」の称号も授かりました。これで法輪功の知名度がかなり上がることとなります。

星のような輝きで、法輪功は他の気功流派からは一線を画していました。

無料の法輪功が急速に一般に普及

中国の公共広場では朝、気功をしている人々をよく見かけますが、法輪功の煉功場に集まる人の数は通常ではありませんでした。

学びたい人にボランティアが無料で動作の指導を行い、1つの煉功場が大きくなりすぎると、他のボランティアが別の場所で煉功場を始めました。

一般への急速な広がり:路上で法輪功の打坐の手の動きを指導するボランティア。法輪功の五つの簡素な動作を学びたい人は、無料で学べる。法輪功の講義に参加した人たちが、家族や友人に教え始め、法輪功修煉者の数は急速に上昇した。
圧倒的な人気:毎朝、小さな村から大都市まで、公園や広場で、何百人、何千人が仕事に向かう前に、平穏な音楽に合わせて法輪功の瞑想をしている姿が見られた。

国営メディア: 驚異の治癒効果。善良な市民と英雄

法輪功のメディア報道が著しく増えていきます。主に健康改善、善良な市民の育成という理由からでした。英雄的・徳のある行い、道徳心の向上、地域社会に貢献するための無私の行為に関する報道が頻繁に見られるようになりました。李氏と法輪功は、公安部の出版物で社会の安定性を高めたと評価され、「名誉証書」を授かるほどでした。

中国人の犯罪を撲滅しようとする伝統を促し、社会の秩序と安全を守り、社会の公正を推進する[李氏の貢献を称賛します]。 −人民公安報(中国公安部の刊行紙)1993年9月21日

法輪功は、考え方と行いを向上させて初めて、真の永続的な健康が得られると説きました。まさにその通りでした。

大連市の6,000人の修煉者を対象とした1998年の調査では、持病があった人がほぼ全快した率が示されています。中国の他の都市やロシアでも同様の調査が行われました。癌、免疫疾患、神経疾患などの慢性・末期患者でさえも、法輪功を修煉することで、医療介入なしで、著しい回復または全快する例が示されました。

1993年、『今日中国』誌は、法輪功とその創始者である李洪志氏について、「法輪功の驚くべき治癒効果」と題した記事を掲載し、「李洪志師は北京を含むいくつかの都市で法輪功を教えた。中央政府からも各界からも参加があった。軍人、教授、学生、医師などもいた。十代の若者から高齢者まで、あらゆる年齢層が学びに来ていた。多くの人が自分の心と身体が改善される体験をした」と報告しています。

1997年、『医薬健康報』紙に、「法輪功:治療と健康のための一押し功法」という題の記事が掲載されました。同紙の記者は1998年11月8日、瀋陽市にある法輪功の煉功場を訪れ、健康状態が大幅に改善した数十人の修煉者の話を収録しました。

法輪功が健康増進に効果的なことは明らかだ。多くの患者が恩恵を受けた。多くの法輪功修煉者は、「信じない」状態から「信じる」体験へと移行してきた。当初、一部の患者が治るかどうか試してみる者もいた。慢性病が奇跡的に消えることを目の当たりにして、彼らは法輪功が健康改善に効果的であると確信している。 — 『深星時報』(1998年)

1998年、『中国経済時報』は 「立てる!」と題する記事で、河北省邯鄲市に住む53歳の謝秀芬さんの話を取り上げました。彼女は1979年に脊髄損傷のため半身不随になりました。4人の子供を持ちながら、彼女は自分の面倒を見ることができず、母親と夫に頼らざるを得ませんでした。何度も自殺を考えました。1996年4月、謝さんの姉は、夫と共に法輪功を始め、彼女にも法輪功を紹介しました。三ヶ月後の1996年7月1日、彼女は車椅子に乗って法輪功の煉功場に行きました。二ヶ月後、彼女は全く痛みを感じなくなり、一年後には、煉功場まで歩いて行けるようになりました。「私は鳥のように飛びたいと思っています。早足なので誰も私に追いつけません。私は16年間半身不随の状態でした。私の人生を変えてくれたのは李洪志先生です。今、私は生まれ変わりました」

1999年2月22日、『米国ニュース&ワールドレポート』のインタビューで、中国国家体育委員会の役員が、国家の医療費が削減されるとして、気功を称賛していると報道しています。「法輪功や他の気功で、一人当たり年間1000元の医療費を節約できます。1億人が気功をやれば、それは年間100億元の医療費節約につながります」。当時の朱鎔基総理は、このことをとても喜んでいたと、この役員は語っています。

13人に1人が法輪功を実践

中国の公式発表によると、1999年までに7,000万人から1億人の人々が法輪功を学んでいました。短期間、試しにやってみた人を入れれば、それ以上の数になります。中国人口の13人に1人の割合に相当します。友人や親戚の好ましい変化を見て、世代を超えて家族全員が法輪功を学び始める場合が多く見られました。事実上、誰でも、法輪功を修煉している人を知っていました。

武漢の法輪功修煉者による「法輪大法」の人文字(1999年3月)
1998年、中国東北部の長春での朝の法輪功の煉功風景。

世界に広がる法輪功

1994年12月31日、中国大連市で最後の講演を行った後、李氏は海外で法輪功を教え始めました。最初の講演は、中国の駐仏大使の招待を受けて、パリの中国大使館で行われました。パリでの7日間のセッションのあと、5月にスウェーデンのヨーテボリ、ストックホルム、ウッデバラの各都市で第二回目のセッションが行われました。

1998年、中国の国営テレビは公に法輪功を宣伝し、「世界で一億人が法輪大法を学んでいる」と報道した。

法輪功の人気の絶頂期が、国家弾圧の兆候の初期と一致

中国や世界での法輪功の普及に伴い、国家の法輪功に対する弾圧の兆候が現れて来るようになります。

Zhuan Falun Covers - the complete teachings of Falun Dafa.

ベストセラー:1995年3月、法輪大法の完全な教えにあたり、修煉の中核となる『轉法輪』が出版されました。出版記念式は中国公安部の講堂で行われました。1996年春には、この本は全国的なベストセラーとなり、この状態は数ヶ月間、続きました。

1月、3月、4月に『北京青年報』のベストセラーに選ばれましたが、その直後、法輪功の書籍は、中国宣伝部の下にある「中国新聞出版総署」の命令で出版禁止となりました。禁止令を出した文書では、法輪功は「迷信を広めている」と非難されています。同年、李氏は米国に移住しました。

調査1996年、法輪功は政治的な影響を受けないように「中国気功科学研究会」を脱退しました。その直後、法輪功は「異端な教え」と「迷信」を広めていると非難されました。中国公安部は調査に応じましたが、「これまでのところ証拠はない」と結論づけました。

当時、法輪功に対する肯定的な報道と、法輪功に対する攻撃的な報道が、国営メディアで同時に放送されており、中国の政治指導部の内部分裂が明示されています。

中国では、法輪功の数は増え続ける一方、中国人民代表大会や国家体育委員会などの政府機関の高官が、法輪功グループに対する調査を強化しました。

“法輪功は中国の人民と国家に多大な利益をもたらし、少しも害を与えない” – 元政治局員で全国人民代表大会常務委員会委員長の喬石(Qiao Shi)氏が、他の人民代表大会の高官と共同で出した結論

1999 年 2 月 14 日、中国の国家体育委員会の役員が、「米国ニュース&ワールド・レポート」のインタビューで、1 億人が法輪功を始めたと推定。この役員は、中国の国民医療制度の節約につながることを強調し、「朱鎔基総理はこのことについて非常に喜んでいる」と語っています。

“法輪功の動作と効果は優れていると確信する。社会の安定と倫理を向上する上で、突出しており、正当に肯定されるべきだ。” – 中国国家体育委員会、1998年10月20日

世界での評価と受賞

中国政権が法輪功に対して落ち着かない動きを見せ、最終的に撲滅運動へと向かう中で、法輪功とその創始者である李洪志氏は、世界中から賞や評価を表す数千通にのぼる手紙を受け取りました。

李洪志氏はノーベル平和賞候補に5回上がっており、欧州議会からは「思想の自由のためのサハロフ賞」にノミネートされています。フリーダムハウスの国際的な「宗教の自由賞」も受賞しています。

1992年5月13日に法輪功が最初に伝え出されたことを記念して、現在、世界の各地で「法輪大法デー」が祝賀されています。