避けられた話題

法輪功が報道されない理由

(下記の記事は、2006年6月に英国ウェストミンスター大学で行われた「中国メディアセンター」会議で発表された論文を編集しました。)

『法輪功の強制収容所が露呈;臓器のために殺害される囚人』という見出しの2006年3月9日付けの記事が、法輪大法情報センターから北京で外国通信を扱う各局に送信された。中国の蘇家屯(そかとん)収容所で秘密裏に6千人の法輪功修煉者が拘束されていることを伝える内容だった。一人の目撃者によると、拘束者の4分の3は既に殺害されたという。中国駐在の全ての国外メディアの例に漏れず、AP通信は、このニュースを報道しない選択をした。

しかし、3月28日、AP通信は全く異なる情報源、つまり中国共産党(中共)発信の同じ話題に関する声明を配信した。興味深いことに、収容所の疑惑は報告の価値はないとしたAP通信が、中共による疑惑の否定は報道の価値があるとしたわけだ。

中共による否定は目新しいことではない。中共は拷問を否定し、SARSの感染も否定し、1989年に抗議者を銃で撃ち殺したことを今も否定している。では、なぜ、AP通信は中共の否定を発信することにしたのだろうか?

多くの点で、AP通信による「中国は法輪功の臓器狩り疑惑を否定」と題する報道は、中国の人権、特に法輪功への弾圧運動に関する欧米メディアの記事で(いくつかの例外はあるが)よく見られる偏見の典型である。

一つの調査のために、英語圏での主流紙や通信社(ニューヨーク・タイムズやウォール・ストリート・ジャーナル、AP、ロイターなど)に掲載された法輪功に関する記事1879本を査定した。台北とロンドンで開催されたメディア調査協会の会議で発表した調査結果の内容を以下に記す。

拷問と殺害件数が増加する中で、法輪功に関する報道の本数は減少

ほとんどの欧米メディアの例に漏れず、AP通信はまず、1999年4月25日、1万人を超える法輪功の愛好者が静かに北京に集まったことを報道した。これ以前に、1990年代、数千万人を超える人々が、中国の公園で法輪功をやっていたこと、そして中共による抑圧がエスカレートしたために、この著名な4月25日の集まりに至った経緯は、欧米メディアでは全く無視された。

1999年7月、中共政権が法輪功禁止を発令する前夜、欧米のジャーナリスト(そして学者)は、不意を突かれた。法輪功に関する知識は限られており、初期の報道では英語表記もあいまいだった。

そして報道記者たちは新たな挑戦に直面する。この異質なグループに対する大掛かりで暴力的で、不気味とも言える弾圧運動を報道しなければならない。天安門広場で瞑想する人々が殴られ警察の車に押し込まれる様子をジャーナリストは伝え、法輪功は大きな話題となった。

当初、法輪功の修煉者が死に至るまで拷問されることは、報道価値があるとされた。しかし、記録された死亡数が数千人へとのぼるに連れ、欧米メディアは沈黙するようになる。2001年から報道が著しく減少し、中国駐在の記者による法輪功の記事は稀少となった。例えば、USA Todayと英国ガーディアン紙は、6年にわたり法輪功に関する報道を中国から一切流していない。

中共による発信・枠組みによる記事の報道

権力のある政府はニュース制作に多大な影響力を持ち、人権やコミュニティーの擁護を中心とするグループはほとんど報道されないという事実は、長年にわたりメディア研究者の間で知られてきた。「強者イコール正しい」と同様に「強者イコール報道価値あり」なのだ。

臓器収奪に関するAP通信の記事は、この動きを象徴する。この疑惑に関する数週間にわたる記者会見も十数カ国に及ぶ抗議も、無視された。しかし、中共のスポークスパーソンによる短い否定は、AP通信の報道となった。

AFPやロイターなど、その他の通信社も同様である。見出しや最初の段落で主な情報源として、中共の高官、法廷の高官(これらの事例では中共に服従)、国営メディア(例えば新華社)が引用される割合は、法輪功の情報源の4倍にあたり、アムネスティー・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権擁護団体の3倍にあたることが、研究を通して判明した。つまり、「法輪功の女性が拷問されたと発言」という見出しの記事1本に対して「中国、セクトのメンバーに刑期」のような見出しの記事が4本出ているということだ。

こう考えると、法輪功を「セクト」「カルト」のような否定的な意味合いの言葉で形容するなど、中国政府の動きに端を発した欧米メディアの記事に、中共の情報操作の痕跡が見られるのは当然のことだ。

中共とその批判者の引用の不均衡

記者はよく、記事のバランスを主張する。法輪功修煉者の主張を引用したら、中共幹部の引用を求め、これで「公平」だとする。この相対的なアプローチでは、片方が事実に基づく主張をし、もう片方が明らかに嘘をついていても、問題視されない。その判断は読者に委ねられている。このアプローチによる問題点を次の例から汲み取っていただきたい。「ユダヤ人の活動家が、ヒトラーが数百万人のユダヤ人を逮捕し、強制収容所で根絶する運動をしていると非難した。ドイツ大使館のスポークスパーソンは、この主張は完全な虚偽であり、世界支配を目指すユダヤ人の企みの一部であると否定した」。

このバランスをとった記事の倫理的な懸念はさておいて、さらにこのアプローチは権力者に傾くという問題がある。例えば、APの記事は、臓器狩り疑惑に関して、中共のスポークスパーソンである秦剛を引用しているが、法輪功に関してはオンライン情報に言及しただけで、法輪功の代表者に連絡を入れたり言葉を引用することは一切していない。

これは記事のパターンになっている。「法輪功」が少なくとも一度は言及されている1308本のAPの記事を調査した。修煉者が拘束中に拷問死したことを含む記事の50.2%で、中共は直接対応する機会を与えられている。

これとは対照的に、中共の法輪功批判(つまり修煉者が治療を拒否して死亡したか自殺した)ことにAPが言及した場合、法輪功関係者が返答する機会を与えられたものは17.9% に過ぎない。

これをテレビ討論に置き換えてみると、中共のスポークスパーソンは法輪功からの非難の2本に1本に対して、マイクロフォンが向けられる。一方、法輪功のスポークスパーソンは5本に1本の割合でしか対応が許されていない。

APの報道記事では、法輪功が拷問されているという疑惑が「実証されていない」ことを法輪功に関する中共の主張の9倍の頻度で記述している。しかし、法輪功の拷問「疑惑」は、アムネスティー・インターナショナル、米国務省、国連の拷問に関する特別報告官などの報告書で裏付けられている。一方、中共はこの批判に対して公開調査を認めたことがない。中立の立場にある機関により立証される必要があるのだが、APの報道では全く見失われているようだ。

つまり、ここには二重の偏見がある。まず、中共の動きを引き金とする可能性が高い(例えば、法輪功の主張は記事にならないが、中国政府が否定すればニュースになる)。次に、事前に仕組まれた記事では、中共は一貫して優位な立場に置かれる。このような状況下では、記事を促進し、論調に影響を与えている者が、これらの記事が表面上取り上げている記録された拷問・殺害の担い手であり、特に問題となっている。

この二重の偏見について解説する前に、まず私の立場を明確にしたい。中国の法輪功に関する優れた包括的な記事はいくつか存在する。個人的に大きなリスクを取って報道したジャーナリストもおり、これらの記事のおかげで、法輪功修煉者が直面する迫害に関して多くの重要な詳細が得られている。ウォール・ストリート・ジャーナル紙のイアン・ジョンソン氏の拷問と610オフィスに関する記事(ピューリッツァー賞を受賞)や、ワシントン・ポスト紙のフィリップ・パン氏による焼身自殺に関する暴露記事などだ。また、5年前にプノンペンで法輪功のデリケートな記事を扱った当時のAP記者、クリス・デシャード氏の報道に個人的に感銘を受けた。

だが、これらは例外である。中国の外交官や一部の華僑は、中共政権を擁護し、欧米メディアは中国の人権侵害を大げさに報道していると主張する。少なくとも、法輪功の場合は、中国の人権問題が新聞のコラムから消えつつある現状がある。

他にもパターンはある。ジュネーブの国際人権政策評議会による2002年の報告書によると、記事が文脈を無視して書かれる現象が起こっている。例えばAP通信では、中共政権が法輪功修煉者を殺害した可能性があると言及する記事は5本に1本以下である。2006年のロサンゼルス・タイムズの社説では、法輪功への迫害を「いやがらせ」と表現している。3000人もの人々が拷問死しているという惨状は、このような表現からは想像できない。

法輪功は なぜ避けられるのか?

民主的な社会ではメディアは世界で起こっている現実を公平に伝えるという前提で考えれば、法輪功問題はなくなった ー つまり、中共は法輪功を迫害しなくなった、もしくは (よく見られる誤解ではあるが)中共はこのグループを完全に根絶したー と簡単に説明できるはずだ。しかし、そういうことではない。様々な要因と力が、メディアの偏見と呼ばれるものを生み出してきた可能性が高い。

左派のノーム・チョムスキーから右派のL.ブレント・ボーゼル3世まで、評論家たちは主流メディアのさまざまな偏見を非難してきた。例えば、中国支援ネットワークのジョン・パトリック・クスミ氏は、ダン・ラザー、トム・ブロコウ、ピーター・ジェニングスの3氏が、米国のテレビで中国の人権について真剣に議論しない態度を長年にわたって貫いてきたと主張している。ローレル・レフ著『Buried by the Times』(NYタイムズに埋められて)(Cambridge Universtiy Press 出版 2005年)では、NYタイムズ誌が20世紀で最も重要な出来事として挙げられる、ホロコーストをいかに隠蔽していたかを詳細に説明している。

法輪功迫害の報道において、このような欧米メディアによる偏見のパターンをいくつか解説する。

1. 中国国内で目立たなくなった法輪功
1999年から2001年にかけて、北京の中心地である天安門広場で助けを求める法輪功修煉者は、極めて目立つ存在だった。しかし天安門広場に存在しなくなってからは、メディアの注目もすぐに消え失せた。足を組んで瞑想している男女に向かって警官が飛びかかり、車両へと引きずり、広場のコンクリに血痕を残す場面が見られなくなったのだ。北京の警官隊、見せしめの裁判、法輪功の書籍の山の焼却などの場面も同時に消えた。

修煉者の活動は、横断幕を掲げたり、チラシを配布したり、刑務所に電話をかけるなど、地域に密接した目立たない抵抗が中心となっている。血の出る現場は、もはや遠方の地にある強制労働所の高いコンクリート壁の向こうのものとなってしまった。

海外で真相を伝える活動が活発となり、難民たちが大規模な拷問を語り、法輪大法情報センターが北京駐在のメディア事務所のファックスにプレスリリースを大量に流しても、欧米の報道編集者の目からは法輪功の姿は見えなくなってしまった。

2. 法輪功の話は古い
データに示されるように、法輪功に関する報道は、時間が経過するに連れ激減していった。修煉者の殺害は、アフリカの「飢え」のように古い話であり、古い話は売れない。センセーショナルなイベント(例えば、ホワイトハウスでの歓迎式典で、胡錦濤・国家主席に向かって叫んだ女性の話など)以外は、法輪功は報道価値がないと思われる。

ベアトリス・ターピン氏は、AP通信に勤務していた時、上司が彼女のジャーナリストとしての探究心をサポートしてくれなかったことをMediaChannel.orgで語っている。「この話を掘り下げようとする意欲がオフィス内にはありませんでした。壮大な出来事が予定されている場合、ニュースを逃さないように法輪功メンバーとはポケットベルと公衆電話で繋がっておくこと、しかし、この問題に関してインタビューしたり深く掘り下げることはしないようにと強く言われました。」

この結果、通常のメディアの購読者・視聴者は、中国での法輪功への迫害について、何年にもわたり何も知らずに過ごしてきた。

3. 中国からの報道は困難。中国の人権を報道することはさらに困難。そして、法輪功について報道することは信じがたい難しさがある。
法輪功問題を追おうとする記者がおり、編集者の支えがあったとしても、障害は大きい。強制労働所は遠方にあり、稀にガイドツアーがある以外、中に入ることは不可能だ。中国を拠点とする記者で法輪功を報道しようとする者は、労働許可証を取り上げられ、身体的な暴行を受けてきた。

BBCのルーパート・ウイングフィールド=ヘイズ記者は、中国駐在中の当時、最も果敢な欧米のジャーナリストに挙げられるが、法輪功のデモを取材しようとしたとき、いかに尾行され、襲われ、尋問されたかと説明している。外国人記者は法輪功修煉者と共に逮捕されることがよくあり、カメラからフィルムを抜き取られる。

ワシントン・ポスト紙のエドワード・コディー氏によると、北京五輪に向けて公安部が発行したマニュアルでは、法輪功を取材しようとする外国人記者に対して次のように対応するように警官に指示している。「あなたの取材範囲を超えており、違法です。中国での外国人記者として中国の法律に従うべきで、自分の立場に逆らうことをするべきではありません。」「ああ、そうですか。戻っていいですか?」と記者が答えたら、「ダメです。一緒に来てください」と言って連行する。

中国政権は、2008年の北京五輪に備えて、前年の12月より外国人記者に対する制限を解除すると発表したが、法輪功がこの新たな自由な取材に含まれるのかは、今後明確となる。

良心的なジャーナリストは、情報提供者の身の危険はさらに大きいことを熟知している。『Wild Grass』 (Pantheon社 2004年発行)の中で、ジョンソン記者は、変装してタクシーに飛び乗り、修煉者が逮捕されることのないように配慮した様子を描写している。対照的な例として、法輪功修煉者の丁延(Ding Yan) さんは、北京での機密の記者会見に参加したため、逮捕され拘束中に拷問死した。

4. 中共に補助された自己検閲
より自由な中国のイメージを強化し、弾圧運動のひどさを隠し、法輪功はうまく対処されたと偽ることが、中共政権にとって対外PRの優先事項であり、国外の報道機関には機会があればテコ入れすることは当然のことである。タイム・ワーナー、ディズニー、ニューズ・コーポレーションなどのメディア・コングロマリットが中国市場での地位を争う中、中共は自分たちが出した条件をほぼそのまま通して交渉できた(Googleが中国の検索エンジンを自主規制したことは有名だ)。

国外の報道機関は、タブーとされていた特定の話題を限定的に取り上げる自由がある。法輪功やその他のいくつかの慎重を期する話題に関しては、深く掘り下げないという暗黙の了解がある。国外メディアは、足を踏み入れすぎると、雑誌売り場から撤去されたり(ダライ・ラマと中国の反体制派の記事を掲載したタイム誌は撤去された)、番組が放送中止になったり(法輪功に関する記事を報道したBBCの番組が中止された)、まだウェブサイトが配信されていた場合は、ブロックされる。

自己検閲は、ジャーナリストが依存する情報源にも及ぶ。欧米メディアの報道では、学者や官僚が情報源として大きく取り上げられる。しかし、私の知る限り、2007年7月現在、中国共産党の法輪功政策に公に反対する学者や官僚は一人もいない。リスクが高すぎるため、極めて勇気のある者が匿名で行う。言うまでもなく、中国共産党の弾圧運動に賛同する著名人を見つけることは容易だ。

実際、欧米の中国研究者で、この迫害運動を強く批判する者はほとんどいない。ほとんどの中国研究者は、中国本土へのアクセスの維持が極めて重要だからだ。自分の研究を自己検閲しなければならないことについて複雑な心境をプライベートに私に語ってくれた学者もいた。この問題については、ペリー・リンクが「China: The Anaconda in the Chandelier」(邦題の意訳:中国:シャンデリアの中のニシキヘビ)(NY Review of Books発行, 2002年)で法輪功について具体的に述べている。

5. 効果的にプロパガンダを飽和状態にし、「同情疲れ」を組み合わせ、法輪功修煉者は「価値のない犠牲者」と導かせる
批判的なジャーナリストで、中共の法輪功に対する誹謗中傷をそのまま受け入れる人はまずいない(ヒューマン・ライツ・ウォッチは「虚言」(bogus)と呼ぶ)。しかし、このプロパガンダの襲撃の対象がよくわからない集団のため、多くのオブザーバーにとって、何そして誰を信じていいかわからない環境を生み出してしまった。そして、法輪功とその創始者を揶揄する言葉が欧米のメディア報道に浸透する結果となった。いずれも中共発信の情報である。

さらに、法輪功に向けられた否定的な情報は、「同情疲れ」に拍車をかけた。2001年の天安門広場での焼身自殺事件は、この良い例だ。ダニー・シェクター(米国のテレビ番組や映画の制作者)などは、中共が演出したとまでは言わなくても、高度に工作された事件と見解している。しかし、プロパガンダは、法輪功に対する否定的な見解、少なくとも疑問を生み出すことに成功した。わざわざ自分の中国でのキャリアを賭けてまで、問題とされるグループを取材する記者はいない。法輪功修煉者は「価値のない犠牲者」とみなされた。焼身自殺事件後、拘束中の殺害率が急上昇したにも関わらず、法輪功に関する報道が激減したことは偶然ではない。

この傾向は継続しており、最近さらにひどくなったと言える。今年の上半期、英語圏での7大紙を調べたが、法輪功について触れた記事は2本に過ぎなかった。虐待報道の減少と迫害の増加には因果関係があるのだろうか?

リーシャイ・レミッシュは、中国の政治、人権、中国での欧米メディアの研究者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士(国際関係)。