SOSの手紙
米国で大きく報道された強制労働所からのSOSの手紙
法輪功修煉者の孫毅氏は、中国の悪名高い馬三家労働教養所に2年半収監された時、絶望的な状況についてSOSの手紙を書き始め、自分が生産した輸出用の商品の梱包の中に隠しました。
収容所での生活は本当に過酷でした。1日15時間、週7日の労働を強いられ、拷問や虐待も受けました。
孫さんは手錠をかけられ、苦しい体勢でベッドに長時間拘束されることが、しばしばでした。まる1年間、二階立てベッドから吊るされることもありました。手錠は手首に食い込み、足は象のように腫れ上がりました。しかし、法輪功を棄却するよう要求されても、屈しませんでした。
2010年半ば、孫さんは馬三家から釈放されました。2年後、アメリカ人女性ジュリー・キースさんがKマートで買ったハロウィン・キットの中から孫さんの手紙を見つけました。彼の手紙は中国からオレゴン州の小さな町まで8000キロ以上の旅をしたのでした。
キース夫人はメディアに知らせ、この話は世界のトップニュースとなりました。中国での「労働教養所」制度の深刻な人権侵害が報道され、国際的な圧力により、2013年に同制度は廃止に至りました(しかし、労働教養所に代わって「黒監獄」が現れています)。
「毅然とした」という名前を持つ孫毅さんは、その後、当局の標的となりました。自宅は幾度も荒らされ、逃亡生活を送っていました。
2016年12月、孫さんはなんとかインドネシアに逃れることができました。インドネシアでジュリー・キースさんと会い、ドキュメンタリー映画『馬三家からの手紙』*注の1シーンが撮影されました。
ドキュメンタリーでは、中国では反体制派が警官の任意で投獄され、輸出品の生産に奴隷として使われていることに光を当てながら、孫さんは自分の体験を語ります。
孫さんはインドネシアからカナダに行く予定でしたが、ビザを待っている期間、中国当局の工作員と疑われる人物に拉致されました。51歳の誕生日を数日後に控えた2017年10月1日、バリ島の病院で腎不全で亡くなりました。
しかし、彼の家族は「腎臓に問題はなかった」と報告しており、不正な行為を疑っていると語っています。病院側は彼の死について具体的な説明をせず、急いで遺体を火葬しました。彼の死が毒殺による暗殺だったのではないかと考えるものは少なくありません。
*注 日本語字幕付き完全版、配信中。詳細はこちらへ。