国外からのプレッシャーと大胆な逃亡
アムネスティ・インターナショナルのキャンペーンで 実現した母娘の再会
法輪功を修めているだけで、捕らえられる良心(無実)の囚人は、通常、国外の修煉者や人権擁護機関、政治家が一丸となって取り組むおかげで、中国の悲惨な状況から救出されます。
2012年12月、アムネスティ・インターナショナルの「台湾グループ32」が彼女の事例に関心を持ったことが、陳真萍さんのフィンランドを目指す自由への道の始まりです。その後3年間、アムネスティ台湾グループは、フィンランド政府やメディア、中国当局に働きかけながら、陳さんを迫害する人に一定の圧力をかけ続けました。
陳さんの最初の収監は2003年のことでした。河南省の十八里河女子強制労働所で3年の刑期を言い渡されました。そこで、強制給餌され、特別な拘束衣を着せられました。拘束衣は「転向」が必要な法輪功修煉者であることを示すもので、強制的に法輪功への信念を棄却させるべき拘束者として識別されていたのです。
強制労働所の女子拘束者は、この拘束衣を定期的に着けました。もがくと締め付けられるように設定されており、陳さんの仲間の一人は、拘束衣を1日着たために死亡しました。陳さんは、拘束衣を着たまま窓から吊るされました。
ハンガーストライキを行った時は、強制労働所の職員に強制給餌されました。給餌が暴力的に強要された後、陳さんはショック状態に陥ったため、家に連れて帰るようにと娘に連絡が入りました。
北京オリンピックを控えた2008年7月、陳さんは再び逮捕され、新郷女子監獄で8年の刑期を言い渡されます。そして、刑務所内の縫製工場で、1日18時間の労働を強いられました。
当時フィンランドに住んでいた陳さんの娘、金昭宇さんが、アムネスティ・インターナショナルやフィンランドのメディアの協力を得て、国際的な喚起を促しました。
陳さんの釈放を求める無数の手紙が、虐待の責務を担う刑務所・公安・司法関係の役人に送られました。多くの場合、区長、刑務所長、看守に個人的に手紙を宛てることで、個人的な問題として捉え、彼らの名前が一般に知られていると伝えました。
2015年9月、釈放された陳さんは友人の助けを借りてタイに脱出。そこからフィンランドに到着し、娘と7年ぶりの再会を果たしました。
「今日、私はようやく自由な土地、美しいフィンランドに立つことができました。アムネスティ・インターナショナル、そして『真・善・忍』を貫き迫害されている法輪功修煉者を支援される優しい人々に感謝いたします」と陳さんは語りました。