拷問の後の人生

ニューヨークで正常な生活に落ち着く、中国での10年間の過酷な迫害を生き抜いた家族。

王会娟さん、李扶揺さん、李振軍さん。 2017年1月8日、ニューヨークの自宅で。法輪功を棄却させるための拷問に長年にわたり耐えたあと、2014年に中国を去り、米国での難民申請が認められた。 (写真:Samira Bouaou/Epoch Times)

王会娟さん、李扶揺さん、李振軍さん。 2017年1月8日、ニューヨークの自宅で。法輪功を棄却させるための拷問に長年にわたり耐えたあと、2014年に中国を去り、米国での難民申請が認められた。 (写真:Samira Bouaou/Epoch Times)

以前にも尋問を受けたことはあったが、今回はこれまでよりひどかった。かなりの報酬を狙って、駅員が小学校の教師・王会娟さんを警察に通報したのだ。


「法輪大法情報センターによると、3日に1人は法輪功修煉者が警察で拘束中に死亡しています。しかし、これは実証されている事例に過ぎません」

駅員は興奮した様子で「法輪功の修煉者をまた1人見つけた!」と治安警察に無線で連絡した。あっという間に数人の警官が現れ、駅の待合室から全ての人を追い出し、王さんは地元の拘置所に連行された。

駅員は王さんの荷物から、中国共産党政権による法輪功(法輪大法とも呼ばれる)への迫害を説明したチラシとDVDを見つけた。法輪功を中傷する国家のプロパガンダを暴露するものだった。警察は、彼女が誰から資料を入手したのか、どこで制作されたかを尋問した。

拘置所では、もがき続ける王さんを警官は縛ることができず、近くの事務室の机から金属製の定規を持ち出し、彼女の頭を壁に押し付け、頭と顔を叩き始めた。

「血がたくさん出ました。鼻と口から出血し、鼓膜が砕れました」。現在ニューヨーク在住の王さんとは、補聴器をつけての会話だった。

その時、「たとえ死んでも他の人の名は明かさない」「私は法輪功を捨てない」という念が生じたと王さんは語る。

しかし、これを貫くことは容易ではなかった。

その後、夫と幼い娘から切り離され、刑務所で7年間を過ごし、洗脳、尋問、肉体的な拘束、殴打、強制摂食、睡眠剥奪、心理的な拷問を耐え抜くこととなる。

「『転向』が全てでした。法輪功を棄却するという声明文に署名することを意味します。『転向』しなければ、家族に会わせてもらえなかったり、職を失ったり、職場の同僚に迷惑がかかったり、警官が処罰されたりするのです。警官には修煉者を『転向』させるノルマがありました」

もし署名したとしても、それで心理的な拷問が終わるわけではなく、他の修煉者を『転向』させるために働かされる。

迫害の始まり

王さんと夫の李さんは10年間にわたり、強制労働所、洗脳センター、刑務所への入所と出所を繰り返していた。

二人が修煉を始めた1998年、真・善・忍の特性を理念とする法輪功を中国政権は支持していた。中国政府の推定によると、国民の7000万人以上が修煉しており、国家体育局は、広域にわたって健康と道徳心の向上が見られたことを報告している。朝、公園は法輪功の気功動作をする人で溢れかえっていた。

しかし、共産主義は無神論を標榜しており、法輪功修煉者の数の多さが、当時の江沢民党首を恐怖に陥れた。

1999年7月20日、江沢民は「法輪功の評判を落とし、貧困に落とし入れ、3ヶ月以内に法輪功を撲滅する」使命を掲げて、全国的な迫害運動を発動した(法輪功の迫害を追跡するニューヨークを拠点とするNGO、法輪大法情報センターの情報)。

江沢民は、自己の計画が即刻に実行されるように、610弁公室と呼ばれる法外の警察組織を設置した。全ての国民が中国共産党の路線に従うように、あらゆる工場、学校、国営の職場に中共の役人が配備されていた。

アムネスティ・インターナショナルは、迫害の背後に政治的な動機があることを指摘し、「被害者の大多数は、信仰、集会、表現の自由という基本的人権を穏やかに行使しただけの普通の人々である」と2000年3月に記述している。

失われた幼少期

両親が中国の強制労働所に初めて連行されたとき、扶揺(フーヤオ)さんはわずか6歳だった。

「困惑しました。何が起こったのか理解できませんでした」と、現在24歳でニューヨーク在住の扶揺さん(24歳)(2017年現在)は当時を振り返る。「両親が正しいことは分かっていました。自分の信じるもののために立ち上がっていたからです」。

幼い少女は、あらゆる面で試されることとなる。小学校では同級生に無視され、本に唾を吐かれ、先生に監視された。両親がほとんど存在しない環境で、唯一、側にいた祖母は、息子と義理の娘のことが心配で病気になってしまった。

しかし、現在の扶揺さんからは怒りも恨みも感じらない。両親が何の罪も犯していないことは、ずっと分かっており、「両親が耐え抜いたことに対して、心から尊敬しています」と語る。

母の王さんは、「連行されたあと、一番気がかりだったのは娘です。まだ幼い娘がこの全てにどう対処するかが心配でした」と、今でも心が痛むと言って、娘と別れたことを思い出していた。

王さんはある日、訪れた娘の扶揺さんにこう尋ねた。「ママに『転向』して家に戻って欲しい?それとも信念は捨てずに、自分の良心を裏切るようなことはしないで欲しい?この本当の心を彼らに伝えたら、私はここから出られないのよ」と。

「娘は私の涙を拭いて、『ママ、正義を貫いて。法輪大法が悪いと言うことはできないわ』と言ってくれました」

迫られる選択

迫害に抗議するために故郷の天津から北京に初めて足を運んだ時、扶揺さんの父、李振軍さんは、胸の張り裂ける気持ちだった。1999年10月のことだった。政府の建物に近い天安門広場は、抗議のメッカとなっていた。1989年に学生が虐殺された記憶は、当時も鮮明だった。

「朝、娘を抱きしめて、これが最後になるかもしれないと思い、泣きました」と、テレビの人気キャスターだった李さんは語る。

平和的な抗議をすることのリスクは熟知していた。1999年7月以降、何万人もの法輪功修煉者が逮捕され、強制労働所や洗脳センターに拘留されていた。おぞましい拷問や死の話は耳にしていた。

李さん自身は、法輪功の奇跡を体験した1人だった。慢性のB型肝炎を患い、1998年7月には治療の見込みがないと言われたが、法輪功の気功動作とその教えを学び始め、数週間後には、強くて健康な身体に回復したのだ。ほぼ18年前のことだった。

この体験があったので、天安門広場に抗議に行くという気持ちは、容易に固まった。「法輪大法は私に二度目の人生を与えてくれました。中国で人々が自由に修煉できるようにすべきです。もし私が法輪大法のために声を上げなければ、誰が擁護するのでしょうか?しかし、おそらく殺されると覚悟を決めて、天安門に向かいました」

天安門広場に足を踏み入れたとたんに、逮捕され、数日後、李さんは強制労働所で3年の刑期を言い渡される。裁判官も陪審員もなく、ただ一人の警察官が紙に書かれた判決を読み上げた。李さんは何の罪も犯していない。罪状も説明されず、控訴の手立てもなかった。法輪功を修煉したという理由だけで、不法に何年も拘束される。

「私は善良な市民でした。刑期には意味がありませんでした」

頭は剃られ、紺色の囚人服を着せられ、6つの2段ベッドがある小さな部屋の一番上の寝台が割り当てられた。マットレスはなく、木の板の上に直接横たわる。家族が毛布を送ってきた場合は、毛布を使えた。

「暗くてジメジメしていたので、ほとんどの人が疥癬(かいせん)やミミズ腫れを患いました。夜、木の板を何気なく手で拭(ぬぐ)うだけで、トコジラミを大量に潰すことができました」と李さんは当時のことを語る。

毎朝、使っていた毛布を取り除き、看守が用意した雪のように白いシーツと緑色の毛布を使って、完璧に床を整える。カバーの上に座ったり横になったりすることは禁じられていた。政府高官の視察に備えての表面的な見せかけだからだ。

食事はひどかった。

「野菜は腐っていました。洗わずに鍋に放り込み茹でただけでした。お粥は水道水を混ぜたもので、米はほとんど入っていませんでした」。今でも李さんは、当時を思い出すので、ナスやニンジンを食べることができない。

1日に5個の蒸しパンには、ネズミの糞が入っていることが多かった。 「朝と夜の蒸しパンは黒ずんでいました。昼のは少し白かったです」と振り返る。

1日16時間、週7日、2年以上にわたり、2002年FIFAワールドカップのために記念のサッカーボールを縫い合わせた。「不潔な環境で、飢えと拷問に苛まれながら、無給で働きました」

何があっても1日に4つのボールを仕上げるノルマがあった。1つのボールに約1800針が要され、六角形20枚と五角形12枚のパッチを縫い合わせた合計32枚でボールは覆われる。皮革に見せかけるために毒物が使用されており、特に誤って針で指を刺してしまうことで、よく感染し、血や膿が染み出した。

「朝6時から夜10時まで働かされました。私は比較的早く作業すると思われていました。終わらない人は殴られていました」

李振軍さんが初めて逮捕・拘束され、尋問された際に、「飛行機」と呼ばれる拷問を受けた。30分以上もこの姿勢を取らされた後、警官が李さんを床に蹴り落とし、殴打を続けたという。 

「飛行機」の姿勢 International Society for Human Rights より

看守にゴマを擦る受刑者(李さんによると、通常、最もタチの悪い者)が殴ることもよくあった。李さんを担当したのは、何年も自宅で個人を奴隷扱いし、有罪判決を受けた囚人だった。

毎晩、仕事が終わった後、2時間、李さんと他の法輪功学習者たちは、小さな腰掛けに座り、頭を床に向けてかがまされた。互いに目を合わせれば殴られた。

法輪功をやめるという声明を書けば、これらの「勉強会」は免除されると言われた。拘束されてから数ヶ月後、彼は疲れ果て、絶望のどん底で声明を書いた。

「しかし、どうしようもない気持ちに襲われました。書く前は肉体的な拷問でしたが 書いた後は自らの道徳心を問う心理的な拷問でした」

その後まもなく、彼は供述を撤回し、警官に声明文の返却を求めた。警官には拒否され、余計な罰が与えられた。しかし、心理的な負担は軽減された。

扶揺は年に2回しか父親と会わなかった。ガラスで隔てられ、電話で話しながら、彼女は父を励ましていた。

「扶揺はよく手紙をくれました。『自分の価値観を貫いて』と書いてありました」と李氏は語る。

李氏は当初の刑期を終えて釈放されたが、18ヶ月後に再び逮捕され、4年間、収監される。

国家への影響

法輪大法情報センターの広報担当者リーヴァイ・ブラウデ氏は、中国の迫害によって直接影響を受けた家族の数は、どれほど大きく見積もっても、まだ少ないと語る。

迫害が始まった1999年には、7000万人から1億人が法輪功を修めていたので、13人に1人が「国家の敵」になったことを、ブラウデ氏は指摘する。

「全人口の13分の1に対して中傷し、その家族を敵に回したことによる社会への影響を考えてみてください。壊滅的です」

家族を強制的に互いに反目させることは中国政権がよく用いるテクニックだとブラウデ氏は解説する。恐怖による支配という究極の目標を達成するためのもので、そのやり方は、1960年代から1970年代の文化大革命期に磨かれた。

「ある意味で、法輪功への迫害は、民心を(恐怖政治で)掌握しようとする中国共産党(中共)による一連の衝動的な運動の最も最近のものといえるでしょう」とブラウデ氏は語る。

法輪功の修煉をやめれば家族の絆は保てるのに、なぜ修煉を続けるのかについても解説してくれた。

「法輪功は修煉者にとって精神の基盤なので、棄却は自らの精神を殺すことになります。さらに、棄却しても解放されるわけではありません。棄却した者は、他の修煉者を『転向』させるために中共側に立たされます。ですから自己の精神性をあきらめる以上のことをやらされるのです」

釈放後

父の李さんは2006年11月に出所。母の王さんは2009年に釈放され、家族がようやく一緒になれた。扶揺さんは14歳になっていた。

王さんは教師の仕事には戻れず、李さんは最初に逮捕された時点でニュースキャスターの職を奪われていた。

2人は結婚式の企画事業を始めた。この事業は、迫害の話を人々に伝え、国営メディアで誰もが目にする反法輪功のプロパガンダに対抗する役割も果たしていた。

「私たちが監獄に戻されなかったのは、地元の保安局長が昔からの家族ぐるみの友人で、私と夫が親切なことを知っていたからです。私たちを迫害するようにと彼には上司からかなりの圧力を常にかけられていましたが、私たちを守ってくれました。」と王さんは語る。

この友人とその家族が危険にさらされることを危惧し、中国を去ることを決断する。

「心の中でいつも、家族がまたバラバラになるのではないか、警官がドアを叩くのではないか、家族が逮捕されるのではないか、娘が逮捕されるのではないか、と常に恐怖感に襲われていました」と王さんは当時の心情を語った。

自由を得る

2014年、一家は中国を出て、アメリカに亡命申請するチャンスを得た。

最後の手続き段階の一つであるパスポート申請で、指紋を押して、コンピュータに登録された時、心臓が止まりそうになったという。

「役人たちは身じろぎもせずお互いを見つめていました。1人が電話をかけ、誰だかわかりませんが電話の相手がパスポートを許可するようにと行ったのです」と李さんは緊迫した瞬間を振り返った。

一家は、2014年7月15日にアメリカに到着した。

「アメリカの地を踏んだ時、不安はすべて消えました。ようやく平和を得たのです。しかし、心の傷が癒えることはありません。新鮮な空気を吸い、信仰の権利と自由を得ながらも、中国の人々のことを思うと心は重くなります」と王さんは語る。

一家は、2016年12月7日、故郷の天津で法輪功修煉者20人が逮捕されたという知らせを受けた。

王さんはすぐに中国の拘置所に電話を入れ、釈放するよう圧力をかけたという。

「私は何人かの修煉者を知っています。私が受けた苦しみにさらされることのないように、できることは何でもしたいです」

ニューヨークでは、出来る限りの時間を使って、中国本土からの観光客に迫害の情報を配っている。

李さんは(45歳)は現在、NTD TVに勤務する。Epoch Times紙の姉妹メディアであるNTDは、中国に関して、検閲のないニュースや番組を衛星放送で世界、そして中国本土に向けて報道する。彼にぴったりの仕事だ。

父の跡を追い、放送とナレーションを学んだ扶揺さんは、NTDに入社し、現在ニュースキャスターを勤める。

「中国の法輪功迫害のニュースが出てくるたびに、映像を見るだけで心が痛くなり、多くの辛い記憶が蘇ってきます。でも、このような恐ろしいことが起こっているからこそ、私たちはそれを暴露する責任があるのです」と扶揺さん。

扶揺さんは昨年結婚し、4人はニューヨークのクイーンズにある質素なアパートに住んでいる。仲睦まじい幸せな家庭だ。王さんは扶揺さんの髪が目に入らないようにかき分けていた。李さんと王さんはちょっと手をつないでから、今の生活が現実であることが信じられない様子で互いを見つめ合っていた。

しかし、辛い思い出が去ることはない。

「時折、1人の時に刑務所での体験を思い起こし、法輪功を修めていなければ生存できなかったと実感しています。あの痛みは肉体的なものだけでなく、全く別の種類の痛みでした」と王さんは説明する。

「もともと悪くない人が、さらに良い人になろうと向上しようとしているのです。しかし、中共政権は、善良な人々の想像を絶する邪悪で野蛮な方法で、法輪功修煉者を肉体的でなく心理的に心の底から破壊しようとします。精神的に気を狂わせ、生きる希望を失わせるのです」

法輪大法情報センターによると、法輪功学習者が警察での拘束中に死亡する事例は、3日に1件の割合で起こっている。これは実証されている事例に過ぎない。

記事作成協力:アイリーン・ルオ(Irene Luo)

The Epoch Times 2017年1月26日 Life After Torture の邦訳 英語原文
記者:シャーロット・カスバートソン (Charlotte Cuthbertson)

関連日本語記事:https://www.epochtimes.jp/p/2021/02/68414.html