法輪功への烙印

“このグループはちょっと…変よね? 中国で起きていることはひどいけど…」とポーラは口を濁しました。

ポーラは中国での法輪功修煉者に対する拷問の再現を、街頭で見かけたところでした。彼女の反応に興味を持ち、「変な人々っていう印象を受ける?」と聞いてみました。

うまく言葉が出ないようでしたが、何度か口を開こうとしたあと、ようやくこう言いました。「よくわからないけれど、どこかで耳にしたことかもしれない」

その短いやり取りで、私は落ち着かなくなりました。法輪功とその弾圧を調べてきた私にとって、ポーラの法輪功に対する疑心の背後に、北京が発した悪意に満ちた政治運動の集大成を感じ取りました。彼女の疑心は工作されたものとも言えましょう。数時間前に直接法輪功に触れたための反応ではありませんでした。彼女は誰とも話さなかったし、チラシも受け取らなかったので、グループの言動によるものではありません。

ポーラの疑心はどこから来るのでしょうか。また、なぜ彼女の法輪功に対する印象は、台湾の人々が法輪功に抱く印象とは違うのでしょうか。「ちょっと変」「ずれてる」という観念をポーラが抱くものが、なぜ、1990年代の中国で1億もの人々に受け入れられていたのでしょうか。その中には、中国を代表する科学者や教育者、さらには政治や軍の高官も含まれていました。法輪功に対する「印象」の違いを理解するために、いくつかの点から考察してみたいと思います。

起源

中国共産党政権による法輪功に対する「カルト」の烙印は、公平な立場から押されたものではなく、調査や観察から導かれた客観的な結論ではありませんでした。

正確には、1999年10月のことでした。人気のある法輪功を「潰す」ための暴力的な政治運動を開始して3ヶ月が経過していました。中共政権に立ち向かう法輪功、中共政権による(拷問や公の場での警察の残虐行為などの)暴力行為は、中共にとって最悪のPRとなりました。国際的な批判は日に日に高まり、平穏な瞑想者への同情は高まっていました。この運動が失策に終わったという恥を避けるためにはどうすればいいのか。当時の中国の支配者、江沢民は、法輪功への支持を覆すことに躍起になっていました。

1999年11月9日付のワシントン・ポスト紙は「江氏が法輪功に “カルト”の烙印を押し、邪教禁止法の制定を要求した」と報道しています。

この動きは、弾圧運動と同様に、自分のためのものでした。同紙によると、「弾圧は中国指導部の力を示し固めるために行われた…中国共産党の情報筋によると、中央政治局の常任委員会は全会一致で弾圧を支持しておらず、江沢民主席一人で法輪功の撲滅を決めた」もので同じ記事は、「明らかに江氏にとって非常に個人的なこと」と中共の高官の言葉を引用しています。

中国では、「カルト」の烙印は以下の3つの目的を果たしました。

  1. 法輪功への国民の同情を弱め、時には法輪功に対する怒りを産んだ。
  2. 犠牲者に対する違法な迫害行為から注意が背けられ、法輪功の清廉さに疑問が投げかけられた。
  3. プロパガンダにより犠牲者は人間以下と捉えられ、さらに極端な人権迫害を可能にした。

この烙印は中国の国境を超えました。もともと「カルト」という表現は、欧米社会を意識して中共政権に採択されたものでした。2001 年 2 月 14 日付『アジア・ウォール・ストリート・ジャーナル』は、中共は「欧米の反カルト運動が用いる言葉や論理を熱心にプロパガンダに取り入れ…迫害を正当化するために反カルト運動と自分たちを結びつけた」と報道しています。

すぐに、この用語はほとんどの英語圏のメディア報道に見られるようになりました。表向きには「法輪功はABCと主張し、中国共産党はXYZを主張する」というバランスの取れた記事であるとし、読者の判断に任せるという立場をメディアはとっていました。

心理学の研究を指標とすると、「カルト」という言葉には継続的な影響力があります。誰か、何かについてちょっとした悪いことを耳にした場合、その印象を覆すためには数倍の良いことを耳にする必要があるということが、研究から明らかにされています。

第二の側面は、今日の報道が、奇妙な点だけを取り上げようとする、高潔とは呼べない傾向です。ドラマチックなストーリーを掻き立てるため、法輪功とその信念は、エクゾチックな形で取り上げられ、「カルト」であるという中共の主張がさらに強化されることとなりました。

中国の宗教を専門とする歴史学教授デービッド・オウンビー氏は、「李洪志(法輪功の創始者)に関しては、彼の奇妙な発言だけを取り上げ、からかうように記述している。ジャーナリストや学者が、十分な分析なくしてこのような記述を書いている」と指摘しています。

「ジャーナリストにとって、法輪功が『善』を説くということは、つまらないことなので、話題にしません。そこで別のことに目を向けます」とオウンビー教授は続けます。「しかし、李洪志の著作を読み、法輪功修煉者と話すと、常に『善』の価値観が強調されます。善い人になれるということはかけがえのない喜びなのです。」

このように、一般的に法輪功の信念は「宇宙人」など風変わりなもののように描写されています。法輪功の基本的な信条「真・善・忍」の生活を送ろうとすることについては、ほとんど言及されていません。

「カルト」の概念を欧米に浸透させていくことと並行して、中国共産党政権は、積極的に広めることにも取り組んできました。中国高官から法輪功を糾弾するメールが日常的に送信されていると、米国議会だけでなく、市長、論説委員会、地域社会のリーダー、企業経営者が報告しています。領事部の役人が、辛辣な特別記事を新聞に寄稿することすらありました。

この行き過ぎの態度に終止符を打つため、米議会では中国の高官に対する二つの決議案が提出されるほどでした。そのうちの一つは「このような違法行為に従事する代表者や代理人に対して移民法などを適用し、適切な措置」を取るよう米政府に要求しています。

法輪功を中傷する運動がある程度成功したもう一つの理由として、情報の受け入れ側が現状を全く把握していないことが挙げられます。「多くのアメリカ人は、中国の独裁政権についてほとんど知りません。ですから、中国政府の行動は、欧米の政府とあまり変わることはないと思い込んでしまっているのです」。ニューヨークに拠点を置く法輪大法情報センターのリーバイ・ブラウデ氏は、こう語っています。